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日本犬の歴史は縄文時代早期に始まるといわれています。人々は食料として栗やどんぐり、やまいも、魚、貝を採って食べていた他に、弓矢を用いた狩猟(鹿、猪、兎)も重要な生活手段でした。この狩猟の助手として犬が働いていたといわれています。
日本各地から出土した犬骨を調査したところによると、縄文時代早期の犬の大きさは体高36センチ~41センチぐらいの小型犬がほとんどで、中期以降になると体高46センチ~50センチぐらいのものもいたそうです。遺跡から発見された犬の土偶から、この時代の犬も立ち耳、巻尾もしくは差し尾であったことから、縄文時代の犬が柴犬の直接の祖先であると考えられています。
弥生時代にまた新しいタイプの犬が朝鮮半島から持ち込まれ、縄文犬との混血が進み、次の古墳時代までに、現在の日本犬小型(柴犬)や中型(四国犬、紀州犬)の形が出来上がったものと思われます。各地にはみやけ倉(朝廷の穀倉、御料地)がおかれ、これを警護する為の「犬養部」もおかれていました。したがって、この頃の犬は狩猟の他に、番犬として、あるいは穀倉でのネズミの駆除などの役目をもっていたと考えられます。
江戸時代になると、外国との交流も盛んになり、座敷犬や大型犬(南蛮犬、唐犬)が入ってきます。特に唐犬は有名で大名行列の先触れ犬として、また、猪、鹿などの狩猟犬として用いられ、諸大名が競って飼育したといいます。しかし、これらの輸入犬は限られた地域で飼育されたもので、当時の日本犬に与えた影響は軽微なものであり江戸末期まで各地に純粋な日本犬が存在していたようです。
ところが明治にはいると様相は一変。急激な欧化思想、舶来万能の風潮に乗って輸入された洋犬によって、日本犬の雑種化が意図的に広範囲に行われるようになりました。大正末期になると、純粋な日本犬は都会から姿を消してしまい、山岳の猟師の元で猟犬として働いている犬でさえも怪しくなってきました。この頃学術的な見地から、初めて日本犬保存の必要性を説いたのは当時内務省にあった史跡名勝天然記念物保存協会と、民間でこの運動を実践した斎藤弘吉氏です。斎藤氏は昭和3年6月に『日本犬保存会』を創立し、日本犬保存運動を展開。昭和6年に文部省による天然記念物指定第1号として秋田犬が指定され、甲斐犬、紀州犬、柴犬、北海道犬、土佐犬(四国犬)が指定されました。柴犬が指定されたのは昭和11年で、産地は中部山岳地帯とされています。
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